85話より、冒険譚とマスメディアと元禄文化
2018/06/09 19:13
神様セカンドライフ 85話「私のすべて」 前半
コメントはコチラ。
>>闘争になじんだ体
心さえ折れなければアーマードコアの新作が出たのか……(戯言)

YES!
今回のお話はアーマードコア!
…ではなく。
>タタラを殺した「文化」が「娯楽」とは読めなかった。
何でも娯楽にして消費し尽くす、というのは元禄も現代も変わりゃしないねェ…。
徹底的に『消費』尽くされた神。
それが果無の一本ダタラことタタラというお話でした。
元ネタの「妖怪一本ダタラ」は、複数の言い伝えが入り混じるタイプの伝承で、タタラ場の鍛冶師の暗喩・鉄系の伝承・地域の怪異・天目一箇神(金屋子神)、これらが交じり合ったものだと考えました。
中でも目を引いたのが、人間に危害を加えないという一文。
これを軸に組み上げたのが本作のタタラです。
妖怪一本ダタラの伝承はタタラ師の暗喩からタタラ場が現役、おそらく江戸かそれ以前のもの。
仮に江戸だとして、この時代で印象に残っていたのが天下泰平と町人文化でした。
平和+市民主体の社会。
これは現代的…!っと気づいた辺りでタタラの過去の8割は出来たようなもの。
なによりも
>鍵コメで指摘いただいた鳥山石燕らの妖怪画、そして江戸後期に登場した瓦版ことマスメディアの台頭。
平和な時代、冒険譚やチャレンジが受けるのはリンドバーグや白瀬矗(しらせのぶ)を見れば明らかです。
タタラとは、大衆娯楽が市民権を得た時代。
新しいパラダイムのうねりの中にいた異形の神という味付けになっています。
>まじかよ人間クソだな滅ぼそ!ってなった……
それでも手を上げないとかなんなのタタラちゃん鬼どころか仏陀レベルじゃん……
>人間を倒してしまえば、恐怖の対象になりそうだけど
神罰と考えて、倒してはダメだったのかな。
この辺描写不足なのでちょっと補足すると、タタラはまったく危害を加えないわけではなく全治一週間レベル程度には手を上げています。

こんなアレな過去を長々と描くのもどうだろ?って思ったのではしょりましたがそんな感じってことで~~
描写不足は置いといて、タタラにとって人間とは
>タタラのされた事は人間を殺すには十分すぎる気がするけどそれでも殺さなかったのは性根が優しいからか、タタラ場の人々との日々から人間に対する情があってできないのか…。後者なら愛し愛された記憶がタタラを落とす原因になった感じもして報われなさ過ぎて何か…何か…!
まんまこれ。
タタラの一番幸せな時期もどん底な時期も人間があってこそ。
タタラにとって真の不幸とは、人間に寄り添いすぎたことなのかもしれません。
>何より周りを考えて生きてきた神だからこそ、何もできずただただ自分を恨んで卑下して来たんだろうなあ…もっと早く出会えて居れば……
>自分の事を卑下するのは、自ら悪になったからじゃなくて、長年悪い者扱いをされて迫害されて、心が折れて卑屈になってしまったからなのか…報われなさすぎる……。
仰るとおり長年の迫害により心が荒み自己を卑下する内向的で卑屈な性格に。
本来のタタラはマヒトツや初期ヒトツメのような明るく強気な子だったけど、いわれなき中傷と本来の優しさが仇になった…みたいなな?

感情が豊かで回りに慕われる兄貴的存在?
>羽織の汚れと一文字の消え具合がタタラの心を表して
義足が限界を迎えたときにタタラの心もポキリと折れた、と
タタラに天目一箇神の矜持が残っているかは分かりませんが、仰るとおりタタラと一文字はそういう意味合いであしらってみました。
>もう大丈夫だから結婚しよ
わかる。
タタラはなんというか、あったかい風呂に入れうまいご飯をたらふく食べさせて、ふかふかの布団に寝かせてあげたくなるような子という歪みに歪んだフェチで構成されています。
>昔のオカルト本によく載ってた鬼や人魚のミイラを想起しました。
当然偽物なのですが、つまりそれほど需要があったということで。
平田篤胤に「人魚の骨」を食べたエピソードがあったはずですが、
彼にしてもそんな認識なので、市井の人々など推して知るべしでしょうね。
今も昔も異形の妖怪は大人気!
未知が人を惹きつけるのは人間の性なんだと思います。
>妖怪側とか悪魔側とか幽霊側から人間を見る漫画読むけど、なにもしてない危害与える気もないと言うのに迫害される描写よくあるよね、自分も人間だからあれだけど人間は弱いから集団になって知識を得て強くなった気持ちになっても結局は自分と違うものとか知らないものとかには拒否反応というか拒絶してしまうよね
私も同じ意見です。
人間が愛情を持てるのは算数が出来る猿が限度、それ以上は恐怖の対象になると思います。
どんなによく似た生き物でも、完全上位な生物には恐怖から来る対立以外ないだろう…っと(寂しいながらも)思います。
>元禄文化かあぁ。怪異に対する腕試しを文化とするのか、娯楽と判断するかは浅学の立場では判りかねますが、百物語や文楽などの延長という解釈ですか。
元禄文化とは、娯楽やマスメディアが生まれ伝播して行く起点になったという解釈で話を組んでみました。
今より少ない表現の中、未知の怪異や冒険譚は大衆を沸かせるには十分かなーなんて。
>多分タタラが人間を殺してたり、殺すに近いレベルまでボコボコにしてたら、打倒タタラを目的にしてやって来る人間はきっともっと少なかったよね?
だって殺されるかもしれないってのは実害があるって事で、伝聞でも事実としても殺された人が一人も居ないって事は、絶対に生きて帰れる身の安全が保障されてる肝試しって事だよね?
行く側も命の保障はあるし、煽って行かせる側も気軽に言えるし、それ絶対面白半分とか売名とかで人来ちゃうやつじゃん…!
今で言ういいねや視聴数増を期待してインスタグラマーやユーチューバーが遠くのお店に言ったりトンデモ企画やったり話題のものに飛びつくのと似たようなもの感がバシバシする…。
なんも足すところが無い~
ちょっとは痛い目をみるかもだけど、向こう傷は男の勲章とも言いますしそれすらも裏目に出ていたのかも。
基本的に、周りの環境や文明レベルが違うだけで人間は本質的に変わっていないと思うので、こういうことがあっても不思議は無いかなって思います。
>赤鬼タタラ様、過去を語りつつスパイ利用の策略はどっからどれだけ加味されてるのかも気になるところです。
過去編はこれでおしまい。
指摘については後半でじっくりといきますで~~~

そして現代へ
以上、いつものおまけでした~~~
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>>闘争になじんだ体
心さえ折れなければアーマードコアの新作が出たのか……(戯言)

24時間テレビのマラソンランナーがみやぞんに決定する
— アーマードコアの新作が出るbot (@7_jyf) 2018年6月3日
↓
いまいちやる必要性がわからないマラソンをするみやぞんへの心配の声が多数寄せられる
↓
やがて感動を出汁に視聴率を得ようとする番組自体に怒りを覚える
↓
テレビ局でデモが起こる
↓
身体は闘争を求める
↓
アーマードコアの新作が出る
YES!
今回のお話はアーマードコア!
…ではなく。
>タタラを殺した「文化」が「娯楽」とは読めなかった。
何でも娯楽にして消費し尽くす、というのは元禄も現代も変わりゃしないねェ…。
徹底的に『消費』尽くされた神。
それが果無の一本ダタラことタタラというお話でした。
元ネタの「妖怪一本ダタラ」は、複数の言い伝えが入り混じるタイプの伝承で、タタラ場の鍛冶師の暗喩・鉄系の伝承・地域の怪異・天目一箇神(金屋子神)、これらが交じり合ったものだと考えました。
中でも目を引いたのが、人間に危害を加えないという一文。
これを軸に組み上げたのが本作のタタラです。
妖怪一本ダタラの伝承はタタラ師の暗喩からタタラ場が現役、おそらく江戸かそれ以前のもの。
仮に江戸だとして、この時代で印象に残っていたのが天下泰平と町人文化でした。
平和+市民主体の社会。
これは現代的…!っと気づいた辺りでタタラの過去の8割は出来たようなもの。
なによりも
>鍵コメで指摘いただいた鳥山石燕らの妖怪画、そして江戸後期に登場した瓦版ことマスメディアの台頭。
平和な時代、冒険譚やチャレンジが受けるのはリンドバーグや白瀬矗(しらせのぶ)を見れば明らかです。
白瀬南極探検隊記念館 / 秋田県にかほ市
秋田県にかほ市金浦町 白瀬南極探検隊記念館
タタラとは、大衆娯楽が市民権を得た時代。
新しいパラダイムのうねりの中にいた異形の神という味付けになっています。
>まじかよ人間クソだな滅ぼそ!ってなった……
それでも手を上げないとかなんなのタタラちゃん鬼どころか仏陀レベルじゃん……
>人間を倒してしまえば、恐怖の対象になりそうだけど
神罰と考えて、倒してはダメだったのかな。
この辺描写不足なのでちょっと補足すると、タタラはまったく危害を加えないわけではなく全治一週間レベル程度には手を上げています。

こんなアレな過去を長々と描くのもどうだろ?って思ったのではしょりましたがそんな感じってことで~~
描写不足は置いといて、タタラにとって人間とは
>タタラのされた事は人間を殺すには十分すぎる気がするけどそれでも殺さなかったのは性根が優しいからか、タタラ場の人々との日々から人間に対する情があってできないのか…。後者なら愛し愛された記憶がタタラを落とす原因になった感じもして報われなさ過ぎて何か…何か…!
まんまこれ。
タタラの一番幸せな時期もどん底な時期も人間があってこそ。
タタラにとって真の不幸とは、人間に寄り添いすぎたことなのかもしれません。
>何より周りを考えて生きてきた神だからこそ、何もできずただただ自分を恨んで卑下して来たんだろうなあ…もっと早く出会えて居れば……
>自分の事を卑下するのは、自ら悪になったからじゃなくて、長年悪い者扱いをされて迫害されて、心が折れて卑屈になってしまったからなのか…報われなさすぎる……。
仰るとおり長年の迫害により心が荒み自己を卑下する内向的で卑屈な性格に。
本来のタタラはマヒトツや初期ヒトツメのような明るく強気な子だったけど、いわれなき中傷と本来の優しさが仇になった…みたいなな?

感情が豊かで回りに慕われる兄貴的存在?
>羽織の汚れと一文字の消え具合がタタラの心を表して
義足が限界を迎えたときにタタラの心もポキリと折れた、と
タタラに天目一箇神の矜持が残っているかは分かりませんが、仰るとおりタタラと一文字はそういう意味合いであしらってみました。
>もう大丈夫だから結婚しよ
わかる。
タタラはなんというか、あったかい風呂に入れうまいご飯をたらふく食べさせて、ふかふかの布団に寝かせてあげたくなるような子という歪みに歪んだフェチで構成されています。
>昔のオカルト本によく載ってた鬼や人魚のミイラを想起しました。
当然偽物なのですが、つまりそれほど需要があったということで。
平田篤胤に「人魚の骨」を食べたエピソードがあったはずですが、
彼にしてもそんな認識なので、市井の人々など推して知るべしでしょうね。
今も昔も異形の妖怪は大人気!
未知が人を惹きつけるのは人間の性なんだと思います。
>妖怪側とか悪魔側とか幽霊側から人間を見る漫画読むけど、なにもしてない危害与える気もないと言うのに迫害される描写よくあるよね、自分も人間だからあれだけど人間は弱いから集団になって知識を得て強くなった気持ちになっても結局は自分と違うものとか知らないものとかには拒否反応というか拒絶してしまうよね
私も同じ意見です。
人間が愛情を持てるのは算数が出来る猿が限度、それ以上は恐怖の対象になると思います。
どんなによく似た生き物でも、完全上位な生物には恐怖から来る対立以外ないだろう…っと(寂しいながらも)思います。
>元禄文化かあぁ。怪異に対する腕試しを文化とするのか、娯楽と判断するかは浅学の立場では判りかねますが、百物語や文楽などの延長という解釈ですか。
元禄文化とは、娯楽やマスメディアが生まれ伝播して行く起点になったという解釈で話を組んでみました。
今より少ない表現の中、未知の怪異や冒険譚は大衆を沸かせるには十分かなーなんて。
>多分タタラが人間を殺してたり、殺すに近いレベルまでボコボコにしてたら、打倒タタラを目的にしてやって来る人間はきっともっと少なかったよね?
だって殺されるかもしれないってのは実害があるって事で、伝聞でも事実としても殺された人が一人も居ないって事は、絶対に生きて帰れる身の安全が保障されてる肝試しって事だよね?
行く側も命の保障はあるし、煽って行かせる側も気軽に言えるし、それ絶対面白半分とか売名とかで人来ちゃうやつじゃん…!
今で言ういいねや視聴数増を期待してインスタグラマーやユーチューバーが遠くのお店に言ったりトンデモ企画やったり話題のものに飛びつくのと似たようなもの感がバシバシする…。
なんも足すところが無い~
ちょっとは痛い目をみるかもだけど、向こう傷は男の勲章とも言いますしそれすらも裏目に出ていたのかも。
基本的に、周りの環境や文明レベルが違うだけで人間は本質的に変わっていないと思うので、こういうことがあっても不思議は無いかなって思います。
>赤鬼タタラ様、過去を語りつつスパイ利用の策略はどっからどれだけ加味されてるのかも気になるところです。
過去編はこれでおしまい。
指摘については後半でじっくりといきますで~~~

そして現代へ
以上、いつものおまけでした~~~
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やったぜいつものLv3さんだ
>平和な時代、冒険譚やチャレンジが受けるのはリンドバーグや白瀬矗(しらせのぶ)を見れば明らかです。
古代ギリシャの時代から、安定した時代にウケるのが悲劇で不安定な時代にウケるのが喜劇だってばっちゃが言ってた。
No title
保護したらしたでこんな幸せでいいのかと布団の中でうずくまって葛藤するところをぎゅっと抱きしめてあげたい子ですよね
No title
ボロボロになった野良ネコに対する感情ですな。
No title
ところでタタラの服の最終のアイディア出しのイラストでタタラが履いてるパンツはマイクロビキニ的な何かですかねヒモのとこめっちゃほそいしハイレグだし少なくとも女児用パンツでも褌でもないよね???
めっちゃセクシーなやつ履いてないっすか???え???