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創作の視点で考えるまんが日本昔ばなし

2019/04/16  19:19
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神様セカンドライフ 99話「三本枝のカミソリ狐」のおまけを書いていたところ、なぜかド長文になったのでわけてみました。


切り出した記事をわかりやすくするために、前提として「三本枝のカミソリ狐」の伝承をのせておきます。

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漫画の特性上圧縮していますが、原典と同じお話です。


〉カミソリ狐はこの不気味な話以外に、いたずら狐が
村人を坊主にしちゃった♪的なマイルド版もあるし、
ほぼ日本全国に同工異曲の話が存在してますよね。


おそらくは「これアカンでしょ」と柔らかくアレンジしたものがマイルド版だと考えています。

アレンジ。
多くの昔話は発行した時代に合わせ大なり小なり変わっていきます。




原典を抹消しようとしたなら最悪!っとなりますが、そうでないならいつの時代でもある話で、そこまで気にすることではないと思います。
要は、どう改変しようが原典が残っていることが重要です。

ですので、カミソリ狐も原典にあたる話を探しましたが見つからず。
いくらなんでも無さすぎるってくらい皆無。

院内の白猿における『兎園小説』のようなものが一切当たらないってのはちょーっと変。


サダムネの原典は江戸時代の奇談。


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漫画の特性上圧縮していますが、伝承部分は原典と同じ。



正直、伝承ではなく作られた話。
完全な創作なんじゃないかと考えています。


日本昔話には、そういった匂いを感じる作品がまれにあります。


『鳥になった傘屋』
例にあげますこのお話、とても創作の匂いのする奇妙なお話です。


・ざっくり解説

鳥と一緒に空を飛びたいと思った傘屋が、苦労の末空を飛べる傘を開発。
その噂を耳にした殿さまが、傘を戦争で使いたいと申しでる。

「戦争の為に作ったんじゃない」
そう言い残し傘屋は大好きな鳥と共に空の彼方へ消え去っていきました。



このお話変です。
善悪の基準が極めて現代的。
第二次大戦のような泥沼の戦争ならわかりますが、大昔の戦争は屍に屍を重ね怨嗟の声がうずまくようなものじゃなかったはず。

なにより鳥、これは自然のシンボルとして描かれたと思いますが素晴らしい・美しいものとして描かれているのが奇妙。
お話の時代はわかりませんが、自然を畏れながらも惹かれるものとして書くならわかりますが、舞台装置としてこの鳥は現代的な価値観を強く感じます。


鳥人幸吉のような空を飛ぶ話ならわかりますが、傘屋の話はひどく有為的な匂いがします。


鳥人幸吉をベースにしたお話。


話は戻り、三本枝のカミソリ狐。

鳥になった傘屋が現代的な思想をはらんだ創作物かはわかりませんが、もしそうだとすると一つあるのなら他にあっても不思議ではありません。

そう考えると

里の語りべ聞き書き 第05巻,川内彩友美,三丘社,1989年03月10日,原題「狐に化かされた彦べえ」
                                         
      引用先「まんが日本昔ばなしデータベース 三本枝のかみそり狐



江戸時代が出典の院内の白猿と鳥人幸吉と比べると、1989年が出典というのはいくらなんでも新しすぎます。

つまり、何かを伝えるために生まれた寓話としての昔話から外れた怪談ではないか?と考えています。


ですが、もし私の読みが当たっていたとしても非難するつもりはありません。


多数の創作妖怪を生み出したといわれる江戸の妖怪絵師、鳥山石燕

石燕の妖怪に人格を創作したゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる

現代にアレンジしたマンガ日本昔ばなし。

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水木的一本ダタラ。



ありものをそのまま描写するクリエイターはいません、石燕も水木も日本昔ばなしのスタッフもクリエイターである以上なにかを加えるのは当たり前。
いえ、記紀をはじめ書に収められる以前の伝承もなにかしらのアレンジがあるのは必然です。


原典を知り今を許容することこそ、民俗学のたしなみ方だと思います。



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コメント

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こらしょ 2019/04/20 10:24

No title

確かに、「飛行機」を戦力として勘定するには、運搬力の向上と飛行時間の長時間化=動力が必要ですよね。

風に乗る凧、もしくはグライダー程度のものにできるのは…
 敵の様子を、当時なら攻撃不可能な上空から偵察する
 迷信深い雑兵の 動揺を誘う
程度ですよね。おそらく、石礫や火元を運ぶことも、矢を射て当てる事もできないのでは…

とすれば、戦に使うというのは 逆に戦の長期化を防ぎ 無駄な犠牲を減らす意味合いのほうが大きい可能性すらあります。アレルギー的に拒むほど、非人道的とまでは言いにくい。

仰る通り この傘屋のお話、大戦の記憶濃い世代の人が、教育的娯楽作品として作ったものなのかも知れませんね。

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