三湖伝説に隠された、南祖坊・八郎太郎・辰子姫の変遷と龍の足跡。
2020/10/14 14:42
神様セカンドライフ104話より、三湖伝説を掘り下げてみたいと思います。
三湖伝説の舞台十和田湖
>八郎さん、やらかし貴種流離譚。
南祖坊に敗れ、流浪の末安住の地と妻を娶りかつての宿敵を打ち破る八郎太郎の物語は、流浪や試練を経て英雄になる物語(こういった寓話を貴種流離譚と呼びます)として秋田で親しまれている伝承です。
この三湖伝説、よく読むと引っ掛かりをおぼえる部分があります。
それが
>初めて三湖伝説を読んで以来、
「何なのこの腹立たしい坊主」
「二度も邪魔をするなんて、辰子姫に気があるんじゃなくて八郎に執着してるだけなんじゃないの…?」

湖や女をよこせと難癖をつける南祖坊。
なにがしたいん…?
コメントの指摘通り、南祖坊の立ち回りが突飛すぎることです。
この部分にこそ、三湖伝説が生まれた背景がうかがえます。
なぜ突飛な南祖坊が生まれたかというと、三湖伝説は南祖坊伝説と八郎太郎伝説が合わさったお話だからです。
南祖坊と八郎太郎の伝説が、いつの時代に生まれたものなのかはわかりません。
ですが、高確率で南祖坊伝説が先で八郎太郎が後。
そしてこれらの物語を整えたものが三湖伝説だと考えています。
南祖坊が実在の人物かは定かではありません。
ですが、記録(三国伝記)に残る南祖坊は室町時代までさかのぼることができ、十和田湖で山岳信仰を開山した修験者として登場します。
内容を要約すると
法華経の徒、難蔵(南祖坊)が勤めに励んでいると女が現れた。
女は自分の住処で法華経を読んで欲しいと乞うが、弥勒の世を待っているから行けないと断る。
(弥勒の世=弥勒菩薩が現世にくだり民衆を救うとされる思想)
女は、自分は十和田の龍女だと明かし、弥勒の世を待つのなら夫婦になり長命な龍へと化身してはどうかと持ち掛け難蔵は了承し十和田信仰の礎となった。
これが南祖坊の初出と言われています。
十和田信仰とは、龍神・水神・修験(山岳信仰と仏教が合わさったもの)がベースで、南祖坊は十和田信仰の創始とされています。
この十和田における修験の創始者南祖坊の口伝が書に記されたものが三国伝記と考えて間違いないと思います。

三湖伝説ではお坊さんだけど本来は修験者。
南祖坊の伝説は、仏教の本地物として派生していきます。
※本地物
本地垂迹思想(日本の神様は仏が化身したものという考え)をベースにした開山や寺院の創始物、または高僧にまつわる文芸作品。

本地物における神様は権現や観音と表記される。
本地物という文芸が修験者の語りや神楽の演目で広まっていくうちに、八の太郎という龍が登場し南祖坊との対決物が生まれます。
いくつか要約すると
・十和田湖の八の太郎に強引に嫁にされ困った女が、南祖坊より経典を譲り受ける。
女が八の太郎に経典をかざすと、経典の文字が刀に変わり八の太郎は貫かれ絶命する。
・十和田湖の悪龍、八の太郎は八つの頭を持つ龍に化身し南祖坊を襲う。
しかし、南祖坊は九頭竜に化身しこれを討ち取る。
南祖坊に敗れた八の太郎の返り血で染まったとされる十和田湖の岸壁
八の太郎登場後、十和田湖(当時は陸奥の国)から秋田(出羽)に逃れた八の太郎が八郎潟を作ったとされる伝説が生まれたとされています。
つまり、南祖坊が先で八の太郎こと八郎太郎が後。
しかも、南祖坊と八郎太郎の立場は三湖伝説とは真逆だということになります。
参考までに、江戸時代までの秋田県と周辺の県のざっくりとした境界。

秋田+山形が出羽の国、青森+岩手+宮城が陸奥の国。
当時、秋田県の右側は陸奥の国、藩体制の名残で南部(藩)とも呼ばれる。
例
「方言は県単位じゃなくて、藩単位で考えるとしっくりくるの。だから久保田藩は秋田弁、南部藩は津軽弁、鹿角は元々南部だから津軽弁の影響が強いってわけ」
八郎太郎は、南祖坊の本地物こと文芸的派生作品から生まれた可能性が高いです(スピンオフ?)。
文芸である。
つまりはアレンジ。
そうなると、三湖伝説の南祖坊がどうして突飛なのかが見えてきます。
すべて私の想像と前置きして。
文芸ということはお客さんがいます。
舞台で演じる神楽、聴衆の前で話す口伝。
これらは時間制限があり、何時間も気のすむまで行うわけにはいかず起承転結のある物語にしなくてはなりません。
つまり、テーマを立て無駄な描写は削ぎ落とし面白さの核を際立たせることが重要です。
陸奥の十和田信仰の開祖、修験者南祖坊。
異国である陸奥の南祖坊の物語を、八郎太郎伝説が広まった出羽で整えるとどうなるか?
優れた創作の原型は時代にかかわらず不変です。
つまり、出羽で馴染のある八郎太郎にスポットを当て、流浪ののち伴侶を得てかつての宿敵に打ち勝つ。
漫画に身を置いている私でもこう整えます。
現に三湖伝説をよく読むと
(神様セカンドライフで描いた三湖伝説は、無名の神々はアレンジしましたがそれ以外は現代で一般的とされている三湖伝説を忠実に表現しています)

・南祖坊より授かった経典から出てきた刀に貫かれる八の太郎
・八首の龍、八の太郎
↓
南祖坊の経典から刀が飛び出し八首の龍、八郎太郎を討つ。

・八の太郎に強引に嫁にされた女
・難蔵は龍女と夫婦になり長命な龍となる
↓
八郎太郎と辰子姫は夫婦になる
このように、三湖伝説の端々に南祖坊伝説の影響が見受けられます。
つまり、三湖伝説における突飛な南祖坊は、物語として整えたとき削ぎ落とされた結果の産物。
映画なら2時間、ドラマなら1時間、アニメなら30分、舞台なら…何分?。
すべてに適正な尺があり古今東西のあらゆる創作物は尺に基づき削ぎ落とすのが当たり前、これは室町時代でも平安時代でも変わりません。
観客がいて時間が有限である限り同じです。
創作に携わる私が思う三湖伝説とは、整えられた大衆文芸であったと考えています。
なお、おそらく辰子姫伝説はあくまで田沢湖の伝説であり独立したもの。
南祖坊伝説・八郎太郎伝説とは無関係ですが、物語として整えたさい組み込まれたのだと考えています。
だって、一つの物語に似たようなエピソードを入れるなんて観客が混乱します。


これは龍神伝説の定番か戒めの定番表現であり、独立した伝承であることを示していると考えています。
(同じ境遇の二人が意気投合し結婚って線もあるけど、そういう表現は特になし)
神様セカンドライフは、民俗学や伝承と秋田へ興味を持つきっかけになればという思いから作られていますので、一般的な解釈や広く知られているものを採用し、それ以上のものはこの分野に興味を持った方が各自楽しんでもらえばいいと考えています。
ですので、現代で一般的に語られる三湖伝説を標準とし南祖坊には泣いてもらいました。

南祖坊の桃ケツ
メジャーな三湖伝説とマイナーな南祖坊伝説。
なぜこうなったのか?
私なりの答えは、三湖伝説が優れた物語であったからだと思います。
漫画界の巨匠、手塚治虫は優れた技法により現代へ続く漫画文化の礎を築きました。
ですが、手塚以前にも漫画は存在します。
南祖坊伝説が三湖伝説の登場により埋もれたのは、三湖伝説の完成度の高さが引き起こした悲劇だと私は考えます。
>八郎様やべえな…
秋田サーガの超重要人物、というか主人公じゃないか。
辰子姫とのラブラブぶりと「愛の力で勝利」的な感じ好きw
このコメントこそが三湖伝説が現代でも愛されている理由だと思います。
憶測が多いため若干不本意な記事ですが、それだけ歴史があり派生が多く真実がわからなくなっている伝承だと受け止めていただけたら。
そして三湖伝説のお話はまだ語りきっていません。
八郎太郎・辰子姫伝説。
そしてもう一つの伝説を本編で触れてから続きを書こうと思います。
硬めの文章をが続いたので、プチトリビアで場を濁します。

笑顔がかわいいのが一の目潟の女神様

笑顔が素敵なのが観音様
ではまた~~~~~~~~~~
三湖伝説を、別の視点で読み解いた方から南祖坊が嫌われた理由の考察をいただいたので紹介します。
大変興味深く、かつ説得力のある考察ですので皆様も是非!
(コメント全文はこちら)
素晴らしい考察ありがとうございました!
編集履歴
・2019/09/14 公開
・2020/10/14 三湖伝説研究者のコメントを追記
・2019/09/14 公開
・2020/10/14 三湖伝説研究者のコメントを追記
三湖伝説に漂う違和感
三湖伝説の舞台十和田湖
>八郎さん、やらかし貴種流離譚。
南祖坊に敗れ、流浪の末安住の地と妻を娶りかつての宿敵を打ち破る八郎太郎の物語は、流浪や試練を経て英雄になる物語(こういった寓話を貴種流離譚と呼びます)として秋田で親しまれている伝承です。
この三湖伝説、よく読むと引っ掛かりをおぼえる部分があります。
それが
>初めて三湖伝説を読んで以来、
「何なのこの腹立たしい坊主」
「二度も邪魔をするなんて、辰子姫に気があるんじゃなくて八郎に執着してるだけなんじゃないの…?」

湖や女をよこせと難癖をつける南祖坊。
なにがしたいん…?
コメントの指摘通り、南祖坊の立ち回りが突飛すぎることです。
この部分にこそ、三湖伝説が生まれた背景がうかがえます。
なぜ突飛な南祖坊が生まれたかというと、三湖伝説は南祖坊伝説と八郎太郎伝説が合わさったお話だからです。
南祖坊と八郎太郎の伝説が、いつの時代に生まれたものなのかはわかりません。
ですが、高確率で南祖坊伝説が先で八郎太郎が後。
そしてこれらの物語を整えたものが三湖伝説だと考えています。
十和田信仰と修験者南祖坊
南祖坊が実在の人物かは定かではありません。
ですが、記録(三国伝記)に残る南祖坊は室町時代までさかのぼることができ、十和田湖で山岳信仰を開山した修験者として登場します。
内容を要約すると
法華経の徒、難蔵(南祖坊)が勤めに励んでいると女が現れた。
女は自分の住処で法華経を読んで欲しいと乞うが、弥勒の世を待っているから行けないと断る。
(弥勒の世=弥勒菩薩が現世にくだり民衆を救うとされる思想)
女は、自分は十和田の龍女だと明かし、弥勒の世を待つのなら夫婦になり長命な龍へと化身してはどうかと持ち掛け難蔵は了承し十和田信仰の礎となった。
これが南祖坊の初出と言われています。
十和田信仰とは、龍神・水神・修験(山岳信仰と仏教が合わさったもの)がベースで、南祖坊は十和田信仰の創始とされています。
この十和田における修験の創始者南祖坊の口伝が書に記されたものが三国伝記と考えて間違いないと思います。

三湖伝説ではお坊さんだけど本来は修験者。
伝播する南祖坊伝説
南祖坊の伝説は、仏教の本地物として派生していきます。
※本地物
本地垂迹思想(日本の神様は仏が化身したものという考え)をベースにした開山や寺院の創始物、または高僧にまつわる文芸作品。

本地物における神様は権現や観音と表記される。
本地物という文芸が修験者の語りや神楽の演目で広まっていくうちに、八の太郎という龍が登場し南祖坊との対決物が生まれます。
いくつか要約すると
・十和田湖の八の太郎に強引に嫁にされ困った女が、南祖坊より経典を譲り受ける。
女が八の太郎に経典をかざすと、経典の文字が刀に変わり八の太郎は貫かれ絶命する。
・十和田湖の悪龍、八の太郎は八つの頭を持つ龍に化身し南祖坊を襲う。
しかし、南祖坊は九頭竜に化身しこれを討ち取る。
南祖坊に敗れた八の太郎の返り血で染まったとされる十和田湖の岸壁
八の太郎登場後、十和田湖(当時は陸奥の国)から秋田(出羽)に逃れた八の太郎が八郎潟を作ったとされる伝説が生まれたとされています。
つまり、南祖坊が先で八の太郎こと八郎太郎が後。
しかも、南祖坊と八郎太郎の立場は三湖伝説とは真逆だということになります。
参考までに、江戸時代までの秋田県と周辺の県のざっくりとした境界。

秋田+山形が出羽の国、青森+岩手+宮城が陸奥の国。
当時、秋田県の右側は陸奥の国、藩体制の名残で南部(藩)とも呼ばれる。
例
「方言は県単位じゃなくて、藩単位で考えるとしっくりくるの。だから久保田藩は秋田弁、南部藩は津軽弁、鹿角は元々南部だから津軽弁の影響が強いってわけ」
「鹿角は元々南部だから津軽弁の影響が強いってわけ」とありますが、鹿角は南部弁ですね。ちなみに、南部と津軽は歴史的に不倶戴天の敵になっていますので、一緒くたにするとバッシングされるかも?
らんで様より
物書きが考える三湖伝説
八郎太郎は、南祖坊の本地物こと文芸的派生作品から生まれた可能性が高いです(スピンオフ?)。
文芸である。
つまりはアレンジ。
そうなると、三湖伝説の南祖坊がどうして突飛なのかが見えてきます。
すべて私の想像と前置きして。
文芸ということはお客さんがいます。
舞台で演じる神楽、聴衆の前で話す口伝。
これらは時間制限があり、何時間も気のすむまで行うわけにはいかず起承転結のある物語にしなくてはなりません。
つまり、テーマを立て無駄な描写は削ぎ落とし面白さの核を際立たせることが重要です。
陸奥の十和田信仰の開祖、修験者南祖坊。
異国である陸奥の南祖坊の物語を、八郎太郎伝説が広まった出羽で整えるとどうなるか?
優れた創作の原型は時代にかかわらず不変です。
つまり、出羽で馴染のある八郎太郎にスポットを当て、流浪ののち伴侶を得てかつての宿敵に打ち勝つ。
漫画に身を置いている私でもこう整えます。
現に三湖伝説をよく読むと
(神様セカンドライフで描いた三湖伝説は、無名の神々はアレンジしましたがそれ以外は現代で一般的とされている三湖伝説を忠実に表現しています)

・南祖坊より授かった経典から出てきた刀に貫かれる八の太郎
・八首の龍、八の太郎
↓
南祖坊の経典から刀が飛び出し八首の龍、八郎太郎を討つ。

・八の太郎に強引に嫁にされた女
・難蔵は龍女と夫婦になり長命な龍となる
↓
八郎太郎と辰子姫は夫婦になる
このように、三湖伝説の端々に南祖坊伝説の影響が見受けられます。
つまり、三湖伝説における突飛な南祖坊は、物語として整えたとき削ぎ落とされた結果の産物。
映画なら2時間、ドラマなら1時間、アニメなら30分、舞台なら…何分?。
すべてに適正な尺があり古今東西のあらゆる創作物は尺に基づき削ぎ落とすのが当たり前、これは室町時代でも平安時代でも変わりません。
観客がいて時間が有限である限り同じです。
創作に携わる私が思う三湖伝説とは、整えられた大衆文芸であったと考えています。
なお、おそらく辰子姫伝説はあくまで田沢湖の伝説であり独立したもの。
南祖坊伝説・八郎太郎伝説とは無関係ですが、物語として整えたさい組み込まれたのだと考えています。
だって、一つの物語に似たようなエピソードを入れるなんて観客が混乱します。


これは龍神伝説の定番か戒めの定番表現であり、独立した伝承であることを示していると考えています。
(同じ境遇の二人が意気投合し結婚って線もあるけど、そういう表現は特になし)
優れた物語とは
神様セカンドライフは、民俗学や伝承と秋田へ興味を持つきっかけになればという思いから作られていますので、一般的な解釈や広く知られているものを採用し、それ以上のものはこの分野に興味を持った方が各自楽しんでもらえばいいと考えています。
ですので、現代で一般的に語られる三湖伝説を標準とし南祖坊には泣いてもらいました。

南祖坊の桃ケツ
メジャーな三湖伝説とマイナーな南祖坊伝説。
なぜこうなったのか?
私なりの答えは、三湖伝説が優れた物語であったからだと思います。
漫画界の巨匠、手塚治虫は優れた技法により現代へ続く漫画文化の礎を築きました。
ですが、手塚以前にも漫画は存在します。
南祖坊伝説が三湖伝説の登場により埋もれたのは、三湖伝説の完成度の高さが引き起こした悲劇だと私は考えます。
>八郎様やべえな…
秋田サーガの超重要人物、というか主人公じゃないか。
辰子姫とのラブラブぶりと「愛の力で勝利」的な感じ好きw
このコメントこそが三湖伝説が現代でも愛されている理由だと思います。
憶測が多いため若干不本意な記事ですが、それだけ歴史があり派生が多く真実がわからなくなっている伝承だと受け止めていただけたら。
そして三湖伝説のお話はまだ語りきっていません。
八郎太郎・辰子姫伝説。
そしてもう一つの伝説を本編で触れてから続きを書こうと思います。
硬めの文章をが続いたので、プチトリビアで場を濁します。

笑顔がかわいいのが一の目潟の女神様

笑顔が素敵なのが観音様
ではまた~~~~~~~~~~
悪役・南祖坊を考える
三湖伝説を、別の視点で読み解いた方から南祖坊が嫌われた理由の考察をいただいたので紹介します。
大変興味深く、かつ説得力のある考察ですので皆様も是非!
らんで氏の考察
(コメント全文はこちら)
さて、なぜ南祖坊の物語が軽視されているかという私見を述べると…
1.南祖坊は南部藩中興の祖と言われる、南部利直の生まれ変わる前の姿とされ、三戸や盛岡に作られた永福寺は南祖坊が祀られていました。
さらに、巡礼路が南部藩、八戸藩に作られ大勢が南祖坊=青龍権現に参拝していました。北東北最大の巡礼の聖地と言っても良いでしょう。
しかし、南部藩は戊辰戦争で破れ、更に廃仏毀釈で青龍権現を祀った十和田湖の社は解体され小規模なものになり、更に祭神をスサノオに変えられてしまいます。
2.青龍権現は江戸時代は閉鎖的で、熊野派の修験者しか参拝を受け入れませんでした(菅江真澄や松浦武四郎も参拝していますが)。
秋田や津軽の参拝者は記録されていません。これが嫌われた原因なのかも?
3.近代思想との対立。
明治時代に十和田湖で和井内貞行がヒメマスの養殖に成功します。
この成功を褒賞するために、十和田湖修験道の後進性がことさらに、強調されます。
つまり、貞行が最初に魚の養殖に失敗したのを「舟を湖に浮かべ禁忌を破ったから青龍権現のバチがあたったのだ」などの噂が流されたとし、貞行を描いた映画では、貞行の家を襲い、石を投げる修験道の人たちが描かれています。
これで大衆は修験道=悪と刷り込まれたことでしょう。
以上は私見ですが、ソースを添えて後で Wikipediaに書き込むつもりです。らんで様のコメントより引用。
素晴らしい考察ありがとうございました!
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三湖伝説が南祖坊・八郎・辰子の話を合体させたものであれば
別に中国との影響関係はないはずですけど、
まあぼんやり比較するだけでも面白い気がします。
両者とも坊主が関わっている点でも興味深いですが、
説教臭く恋路を邪魔する白蛇伝よりは
嫁を得ようとする三湖伝説の方がプリミティヴかな、と。
あいかわらず面白いです
この時の地層の白い火砕流台地は,青森県十和田市や秋田県鹿角市などにみられるみたいですから、このときの大地への畏敬が伝説の大元なんでしょうね。
もしかしたら火砕流や噴煙の激しさが八頭の龍で自然の荒々しさとして、マタギという山の住民を媒介して形を変えて襲ってきた。
それに対して山岳信仰の代表として南祖坊は呼ばれた、鉄のわらじと南祖という名称が、祈祷集団なのか復興への足がかりをした集団の表れだったのかと想像します。
記録に残るくらいですから大規模な山岳信仰集団で製鉄技術を持っていた独特の集団だったのかもしれません。
この集団と擬人化した自然災害が重なるとき、歴史上消えた山岳民と神格化していく龍が合わさって、龍が語り伝えに強調されていったということですかね。
東北、奥深いですね。
十和田湖は大きな火山噴火が記録に残り、田沢湖は深いカルデラ湖で火山の影響があるかもと言われていますね。田沢湖に関しては火山噴火の影響があるかどうかは正式には判明しませんが湖に火山の影響はあると考えるのが水温や水質を考えるとあり得ます。
八郎も辰子姫も喉が熱くていつまでも川の水、池の水を飲むという伝承ですから、その背景には火山噴火や火砕流が含まれているのかもしれませんね。
八郎潟も八頭の一つが流れ着いてはみ出したというなら、伝承は東北の火山の歴史かも・・・・とか思いを馳せました。そうすると2度目の南祖坊の敗退は新しい施政と工事手法による旧勢力山岳信仰の排除?と龍の恋物語を重ねた結果が合体したのかもしれません。
いや、面白いです。
Wikipediaの「三湖伝説」
1年ぐらい前から、三湖伝説に関しての伝説を集めまくっていて、それを最近一気に Wikipedia に書き込んだので御覧ください。記事に気になった表現があったので訂正を
「鹿角は元々南部だから津軽弁の影響が強いってわけ」とありますが、鹿角は南部弁ですね。ちなみに、南部と津軽は歴史的に不倶戴天の敵になっていますので、一緒くたにするとバッシングされるかも?
さて、なぜ南祖坊の物語が軽視されているかという私見を述べると…
1.南祖坊は南部藩中興の祖と言われる、南部利直の生まれ変わる前の姿とされ、三戸や盛岡に作られた永福寺は南祖坊が祀られていました。さらに、巡礼路が南部藩、八戸藩に作られ大勢が南祖坊=青龍権現に参拝していました。北東北最大の巡礼の聖地と言っても良いでしょう。しかし、南部藩は戊辰戦争で破れ、更に廃仏毀釈で青龍権現を祀った十和田湖の社は解体され小規模なものになり、更に祭神をスサノオに変えられてしまいます。
2.青龍権現は江戸時代は閉鎖的で、熊野派の修験者しか参拝を受け入れませんでした(菅江真澄や松浦武四郎も参拝していますが)。秋田や津軽の参拝者は記録されていません。これが嫌われた原因なのかも?
3.近代思想との対立。
明治時代に十和田湖で和井内貞行がヒメマスの養殖に成功します。この成功を褒賞するために、十和田湖修験道の後進性がことさらに、強調されます。つまり、貞行が最初に魚の養殖に失敗したのを「舟を湖に浮かべ禁忌を破ったから青龍権現のバチがあたったのだ」などの噂が流されたとし、貞行を描いた映画では、貞行の家を襲い、石を投げる修験道の人たちが描かれています。これで大衆は修験道=悪と刷り込まれたことでしょう。
以上は私見ですが、ソースを添えて後で Wikipediaに書き込むつもりです。
らんで さんへの返信
皆様にも楽しんで欲しいと思い記事に追記させていただきました。
(まずかった場合取り下げますので連絡願います)
南祖坊が八郎太郎に難癖付けまくる理由は、気を引きたいけど不器用だから意地悪しちゃう、微笑ましい恋心なんじゃないかと妄想しちゃう。
坊主といったら衆道だし(偏見)。
名も無きハタハタ さんへの返信