下品と人徳と共感
2021/12/09 17:20
今回は、あちこちからのおまけです。
しいたけ泉ちゃん急いで描いたので尻尾がないのです😣💦
>前しっぽが・・・何でもないです。
>泉光院の泉光院がカバーして・・・、いえホントなんでもないです。
>品位溢れるヤマノスとは思えませんな
>「品位溢れるヤマノスとは思えませんな」って言ってる人のアイコン
の説得力のなさがヤマノスですな……。
>肌色戦略が功を奏して新しい読者さんを呼べているということですね(
キミら下品やな!!
人のHPでなに書いてくれてんのさ!!!😡
含蓄に富むコメントってやつを教えたるから見とき!!

さくま銀丸

れべるさん
仮面を被っているとの事ですがそれで演じきってその状態を保つ事で嘘が本当になるというか、それを継続し続けていくのは本当に気力やエネルギーがいる凄い事なのでそれも含めて本当に凄い方だなと改めて思いました。
そういう風に考えたことありませんでした。
たしかにエネルギーがいることかもしれませんね。
異世界モノじゃないけれど、現実でもステータスオープン出来たらいいのにねえ。
そうすれば、今MPすり減ってるから休もうとかわかるのに。
前回の記事で勇気をもらった者です
というと内容が内容だけに語弊があるかもしれませんが、自分の気持ちに正直に書くとそうなりますので、ご容赦を
※長文につき、元記事のコメント欄を参考願います。
そうなんですよね。
義理は果たしたし、私やコメ主さんが出向かなくても顔は立つんです。
ですがそうじゃないんです。
元々、そこの家は田舎の人づきあいが嫌いで誰とでも仲良くするタイプじゃなかったので、近親縁者で済ませたから訪問はお気持ちだけでと断っていたんですが、それは違うよと。
確かに、村の付き合いだから来た方もいるとは思うけど、隣の家の息子なんて遠い遠い。
行かなくても大丈夫です。
持論になりますが、こういうケースって故人が呼び寄せたと考えています。
手を合わさせてくれと思わせるほどのなにかを故人が持っていたから起こる事。
つまり人徳。
これ、残された者は拒否できない。
なぜなら故人が呼んだのだから。
だからどうしたと言われればそれまでですし、芯を食った返信とも思えないんですが、なんだろう。
んー…上手く言えませんし、なに言ってもチープに聞こえる気がするのでお互い適当にやりましょ。うん。
いいんです、言いっぱなしで。たぶん。
本当は前回の記事の時に書き込もうかと思いましたが、自分語りが過ぎるのとそんなことを言われてもれべるさんは困るかな、と思いやめました
これ、物書きでもこう思う人多いです。
たとえば、ここはお前の身の上書くとこじゃない!とか、わりといますが違うんですよね。
身の上話を書きたくなるというのは、共感を得たことにより記憶が刺激されたということ。
これは、物を書く上でとても重要なことです。
ストーリーとは、相手の感情を揺らしてなんぼです。
それが怒りであれ、感動であれ、悲しみであれ、感情を揺さぶることがよいストーリーの条件であり、起伏のある物語といえます。
感情を揺らす。
感情へのアプローチとは、相手の体験にかすることだと考えています。
たとえば読み手を泣かせたいからペットや親の別れを書く。
これはダメ、わざとらしい、書き手の意図が伝わりすぎて冷める。
じゃあどうするかというと何かを失った体験を書く。
これにより、読み手の近しい体験にかすりわざとらしさは薄れ、よき読書体験として記憶されます。

キツネ編は、無条件に許してくれる存在(親)の喪失体験を狙ったものなので、親がいることが当たり前な未成年にはグッと来ないかも。
許しの存在としてのヒトツメ。…ママツメ?
つまり、自分語りを誘発するお話はいい話。
相手だって返事くれとは思っていないでしょうし、共感される話を書けた、やったね🙂 と思っていればいいのにね。
なんてことを、ぼやいてる物書きを見て思うわけです。
前置きが長くなりましたが、迷惑とか一切思っていないのでお好きなように書いてくださいね。
以上、シイタケから共感まで高低差の激しいおまけでした。
シイタケ?とシリアルをいただきました! より
しいたけ泉ちゃん急いで描いたので尻尾がないのです😣💦
>前しっぽが・・・何でもないです。
>泉光院の泉光院がカバーして・・・、いえホントなんでもないです。
>品位溢れるヤマノスとは思えませんな
>「品位溢れるヤマノスとは思えませんな」って言ってる人のアイコン

の説得力のなさがヤマノスですな……。
>肌色戦略が功を奏して新しい読者さんを呼べているということですね(
キミら下品やな!!
人のHPでなに書いてくれてんのさ!!!😡
含蓄に富むコメントってやつを教えたるから見とき!!

さくま銀丸
しいたけ泉ちゃん急いで描いたので尻尾がないのです😣💦

れべるさん
えぐいノートと心の硬化と新約武士道 より
仮面を被っているとの事ですがそれで演じきってその状態を保つ事で嘘が本当になるというか、それを継続し続けていくのは本当に気力やエネルギーがいる凄い事なのでそれも含めて本当に凄い方だなと改めて思いました。
そういう風に考えたことありませんでした。
たしかにエネルギーがいることかもしれませんね。
異世界モノじゃないけれど、現実でもステータスオープン出来たらいいのにねえ。
そうすれば、今MPすり減ってるから休もうとかわかるのに。
前回の記事で勇気をもらった者です
というと内容が内容だけに語弊があるかもしれませんが、自分の気持ちに正直に書くとそうなりますので、ご容赦を
※長文につき、元記事のコメント欄を参考願います。
そうなんですよね。
義理は果たしたし、私やコメ主さんが出向かなくても顔は立つんです。
ですがそうじゃないんです。
元々、そこの家は田舎の人づきあいが嫌いで誰とでも仲良くするタイプじゃなかったので、近親縁者で済ませたから訪問はお気持ちだけでと断っていたんですが、それは違うよと。
確かに、村の付き合いだから来た方もいるとは思うけど、隣の家の息子なんて遠い遠い。
行かなくても大丈夫です。
持論になりますが、こういうケースって故人が呼び寄せたと考えています。
手を合わさせてくれと思わせるほどのなにかを故人が持っていたから起こる事。
つまり人徳。
これ、残された者は拒否できない。
なぜなら故人が呼んだのだから。
だからどうしたと言われればそれまでですし、芯を食った返信とも思えないんですが、なんだろう。
んー…上手く言えませんし、なに言ってもチープに聞こえる気がするのでお互い適当にやりましょ。うん。
いいんです、言いっぱなしで。たぶん。
本当は前回の記事の時に書き込もうかと思いましたが、自分語りが過ぎるのとそんなことを言われてもれべるさんは困るかな、と思いやめました
これ、物書きでもこう思う人多いです。
たとえば、ここはお前の身の上書くとこじゃない!とか、わりといますが違うんですよね。
身の上話を書きたくなるというのは、共感を得たことにより記憶が刺激されたということ。
これは、物を書く上でとても重要なことです。
ストーリーとは、相手の感情を揺らしてなんぼです。
それが怒りであれ、感動であれ、悲しみであれ、感情を揺さぶることがよいストーリーの条件であり、起伏のある物語といえます。
感情を揺らす。
感情へのアプローチとは、相手の体験にかすることだと考えています。
たとえば読み手を泣かせたいからペットや親の別れを書く。
これはダメ、わざとらしい、書き手の意図が伝わりすぎて冷める。
じゃあどうするかというと何かを失った体験を書く。
これにより、読み手の近しい体験にかすりわざとらしさは薄れ、よき読書体験として記憶されます。

キツネ編は、無条件に許してくれる存在(親)の喪失体験を狙ったものなので、親がいることが当たり前な未成年にはグッと来ないかも。
許しの存在としてのヒトツメ。…ママツメ?
つまり、自分語りを誘発するお話はいい話。
相手だって返事くれとは思っていないでしょうし、共感される話を書けた、やったね🙂 と思っていればいいのにね。
なんてことを、ぼやいてる物書きを見て思うわけです。
前置きが長くなりましたが、迷惑とか一切思っていないのでお好きなように書いてくださいね。
以上、シイタケから共感まで高低差の激しいおまけでした。
名も無きハタハタ さんへの返信
芯を食いましたよ
人徳、故人に呼ばれる…
肚に落ちました
義理でない不祝儀、「会わなきゃ、お別れをしなきゃ」という気持ちの葬儀は、悲しいことだけれど人生の豊かさの一部なのかもと思えました
ありがとうございます